人のために生きるのが美徳と思わなくなった。人は自分本位で生きていいと思う話

筆が進まない夜なので、最近の私の考えを徒然に書いてみようと思います。

 

過去の自分に一番言いたいことがあります。それは、

「もっと自分本位に生きろ」

ということです。

 

人のためになることをすることに、執着しなくていい。好かれなくていい。我が強くてもいい。何でもいい。なりふり構うな。もっと自分本位に生きて良い。

自分を最後に救えるのは、本質、自分しかいないから。

 

なんでこんな風に考える様になったのかというと、やっぱり会社を辞めて収入が0になった出来事の影響がとても大きいです。

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この出来事はいい意味でも悪い意味でも、私の人生(という名の考え方)を大きく変えました。
(結果的には悪いことも良い意味になったと思います)

 

働くって、誰かのために役に立つことだと思っていました。
その対価としてお金がもらえるとも思っていました。

表面上はそれは正しいと思いますが、じゃあなんで会社員時代はあんなに心身ともに疲弊していたんでしょうか?

人の役に立つ、とか、人のためになることをする、って、自分を疲れさせることなのでしょうか?

 

考えた結果思ったのは、

最初にするべきなのは、自分のために生き、自分を満たすことだということです。

優先順位は絶対に他人ではありません。

 

自分のためにならないことに人生の大半の時間を費やすと人間は疲弊し、消耗していきます。

自分自身を満たせないまま、人のために働くことは自分の人生を自分の手で殺している様なものです。

自分を満たせない日々は、全然幸せじゃありません。

毎日の終わりに、今日死んでも悔いがないと思えない様な人生を過ごしながら、それでも人のために動くことに、私は美しさや素晴らしさを微塵も感じません。

とても偽善的に思えるし、自分で考えることをしていない、自分で決断しリスクをとることに怯えている弱者にさえ感じます。

リスクのない人生なんて、存在しないのに。

 

まずは、自分で自分を幸せにできていることが、自立や自由や幸福の大前提なのだと思います。

自分本位でもっと生きていい。

自分の人生を変えられるのは他人じゃない。

進む方向を決めるのも他人ではない。

どんなに大切にしてくれる人であろうと、自分の人生っていうレベルでは、変えられるのは自分しかいない。

自分のためにもっと生きろ、と過去の自分に言いたいです。

 

そんな考えが頭をめぐる夏の終わりでした。